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寺の中心的な建物で、昭和14年に再建されました。本尊の不空羂索明王、百観音がお祀りされ、行事の時の法要などもここで行われています。中央の鏡縁と呼ばれる板の間の真上の格天井には洋画家二人、日本画家一人の合作になる天井絵が描かれています。 |
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かつての山門は楼門で関東有数の規模を誇る壮大な建物であったといわれていましたが、惜しくも明治38年の火災で本堂とともに全焼しました。現在の山門は弘法大師千百五十年御遠忌事業に合わせ、昭和55年に再建されたもので、四天王のうちの二体を祀る二天門の形式です。 |
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二階建ての建物で、毎年12月31日の除夜の鐘つきの時に来寺された方は鐘を撞くことができます。かつては、江戸時代に鋳造された梵鐘がかかっていましたが、太平洋戦争中に供出されました。現在の梵鐘は昭和38年に鋳造されたものです。 |
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安土桃山時代の頃の創建といわれる、当山では最も古い建造物です。小さな建物ですが、細部には見事な彫刻が施されています。かつての当山の鎮守の社で寺の歴史を知るための貴重な資料でもあります。 |
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堂山と呼ばれる、かつて本尊が安置されていた愛宕山中の吉野山苑地の奥にあり、弘法大師の石像が祀られています。奥多摩新四国八十八ケ所霊場の高野山奥ノ院番外札所を兼ねています。 |
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即清寺境内から西へ約300メートル、愛宕神社の脇、参道奥にあります。岩屋の窪みにはめ込むようにして建てられた御堂で、後三年の役の奮戦で知られる、鎌倉権五郎景政の念持仏と伝えられる不動明王が祀られています。鎌倉街道の発達を知る手がかりでもあり、地域の方々の協力により管理され、毎年4月の第一日曜日に御開帳の護摩供養が厳修されます。 |
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